ラピュタのバルス祭り以上に気になった事
先週の金曜日、テレビで「天空の城ラピュタ」が放送されるというので、予定を入れずに仕事後まっすぐ家へ帰った。
こう言うと、まるで予定を入れることができたかのようである。
かわいそうなのであまり掘り下げはしないが、自分の判断で予定を入れなかったような言い方だ。
ラピュタがはじまった。
わくわく。
1人ソファーに座り、はて、バルス祭りがはじまったのはいつからだろうと不思議におもった。
知らない人用に説明すると、バルス祭りとは、
ジブリ作品であるラピュタのなかで、主人公たちが平和を守るために、強大な力を持った空中都市を破壊するための、破滅の言葉がある。
「バルス」
だ。
放送中に、主人公が「バルス」と言った瞬間に、ネット上で、ネットの民も「バルス」とつぶやく。
これが、花火の打ち上げや、屋台もでない、しっぽり恋がはじまるようなこともない、
個々で完結する、バルス祭りだ。
翌日に、どれくらいの人が自分みたいににつぶやいたかな?どうかな?
と調べる、小さな小さな楽しみは与えてくれる。
アニメでは、「バルス」と発すると、地球上の人々を容易に攻撃できる空中都市はバラバラに崩れ去り、地球は平和を維持できるようになる。
ちなみに空中都市じたいは悪ではない。
強大な力を持った空中都市を悪用しようとする人間たちがいるために、あぶない都市になっている。
つまり、ハサミをどう使うかで良し悪しが変わるのと同じだ。美容師か、アーティストか、悪者か。
シザーハンズという映画が脳裏にうかんだ。
彼はまぁ、色々あやうかったが、美容師ということでいいだろう。(違ったかもしれない…わからない…ロマンチックだった気はする…わからない…)
前置きが長くなってしまった。
そう、ラピュタとは、物心ついたころにはすでに慣れしたしんだ間柄だった。
少しませだした小学校高学年のときも、すっと目の前にあらわれて、ませだす心に語りかけてくれた。
少し反抗期の中学時代も、すっと目の前にあらわれて、じっと私を見つめてくれた。
人生のふとしたときに、ふとした瞬間に、目の前にいた。
そして見るたびに、会うたびに、新しい顔をのぞかせる。
こんな顔もあるよ、と。
私が大人になったからだろうか。
今回もそうだった。
新しいラピュタを見つけてしまった。
正確にいうと、バルスより耳に残った言葉があった。
主人公のパズー(男の子)とシータ(女の子)が、雲の上に浮かぶ空中都市ラピュタで、敵に見つからないように動き回っているシーン。
心臓がとびでそうな高さで、彼らは動き回ったり、笑いあったり、怒ったりしている。
まるで地上にいるかのように。
まるで雲の上にいませんよというように。
そしてあのシーンがきた。
木のツルがからまる場所で、
移動するためには、新しい足場へジャンプして、飛びうつらないといけない場面、
足場、死ぬ、足場
つまり、
足場、ジャンプ足りなかったから死ぬ、足場、
の場面だ。
パズーはここで木をつたって移動しようと考えたのだろう。
明るく、爽やかに、シータにこう問いかける。
「シータは木登り平気だよね?」
と。
ちょwww
(ちなみに、wwwは、笑っている記号)
私だけだろうか。
ちょw w w ちょwww
と思った。
木登りは!
いけるけど!
と。
足を踏みはずしたらアウトな件、
木をつたっている途中で汗でつるっといったらアウトな件、
生と死のまっただなかにいる件、
笑えない件、
爽やかになれない件、
それらすべてを抜きにして、
純粋に、木登りは平気か?と聞いてくる。
いけるけど。
木登りは、
いけるけど!
日本が誇る世界のジブリ、その主役に抜擢された二人だからこそのシーンだろうか。
シータもまんざらでもない表情だった。
なんて強靭なメンタリティ!
ムスカも負けるわ!
1人はしゃいだ瞬間だった。
以上。
バルス祭りよりも気になった事。
…はしゃいだこと。